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戦後から託されたバトン
戦後間もなくの頃
何もないところから
祖父と祖母が二人で昼夜問わず働き
少しづつ貯めたお金で
今の鉄工所を建てたと聞きました。
祖父が亡くなったとき
本当に多くの方が別れに訪れたのをみて
沢山の方に支えられながら
信頼させれる仕事をしてきたんだなと
子どもながら感じていました。
それは今も変わることはなく
町中で家の話をすると
「寛永(会社の名前)さんのところの孫か」
と言われます。
この続くバトンを託された今
僕だからできるやり方で
次にバトンを
渡していきたいと考えています。

鉄でできた鳥居が伝えてくれた事
子どもの時から毎年
初詣に行っていた神社があります。
その神社の鳥居は
物心つく前から鉄でできていました。
当たり前すぎて
深く考えた事はありませんでしたが
他とは違うなとは思ってはいました。
25歳のとき僕は北海道に住んでおり
家業を継ぐことは考えていませんでした。
ある時、祖母と話していた時に
「あの鳥居はおじいちゃんが作ったんだよ」
と言われました。
その時、人から愛されるモノを作れることは
モノ作りする人にとって幸せなことだし
祖父は僕が17歳の時に他界しているのですが
ある意味まだ生きているなと思いました。
その時、この鉄工所は
未来に残していかないといけないと思い
実家に戻ることを決め
今も鉄を通して愛されるモノを作っています。

使われなくなった鉄を使う
仕事の中必ず出てきてしう鉄の余りがあります
基本的な方針として
これらの使い道のなくなってしまった鉄を
新しい価値を見つけて使うようにしています
そうやって止まってしまったモノを
循環の中にかえして
祖父の作った鉄の鳥居のように
僕の作ったモノで
人に長く愛着を持って
沢山の思い出を作っていただいたいです。
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